6月に行方不明になっていたものが
今日になって、ひょっこり出て来ました☆
観念して、
神に仕えます。
と、心で呟いた途端に
何度も探したハズのカバンの中から
まるで
発見されようと
自分から飛び出して来た感じに…☆
あ〜あ。
また、心が斜を向いてたようですね☆
気持ちがストレートになれず
大好きな明るい方向に背を向けてひねていたようです☆
なので、そのたった一言を素直に言えるまでに
5ヶ月もかかってしまいました。。☆
(もともとの発端は1年くらい前ですが)
気持ちがひねれていたので
敬う気持ちが足りないというか
礼を欠いた心だったかもしれませんね。
だから
「居なくなってしまった」のですよね。
今回は、聖者の写真などの
直接的なグッズではありませんでしたけど
自分に必要だと思って購入したばかりのものが
紛失(見えなくなった)のですから。
その後も
バッグは使っていたし
中身も何度も見ていたのですけど
「見えない」のですよね。
「(心の)目が曇っていた」のですよね。
感謝が足りない・・ってことだと思います☆
だから
在るのに見えない。。。状態だったのでしょうね。
最近、喉の瞑想をした際に
強い感情は、喉に溜まると聞きました。
表現出来ない気持ち
強い悲しみ
言いたいけど言えなかったこと
理不尽なことへの憤り
などなどが
唾を飲み込む際に
ごっくん・・とする感じで
ノドボトケの下辺りに、溜まっているそうです。
で、瞑想後に
喉から何かが溶けた感じがして
「うぷっ」としたのです。
それで全部溶けたとは思いませんが
その後、いろいろ泣けてくることがあり
感情が出て来たことで
どんどん解放されたのだと思います。
神に仕える・・というと大げさに聞こえますが
聖なるものへ奉仕する気持ちを持ったり
周囲の様々なことへの感謝や
畏敬の念を抱くこと
そして
卑下や過剰な謙遜ではない、シンプルな慎ましさ
・・などのことを指してます。
それらは
日々の生活の中でもとても大事な点ですが
神社などでの奉納(神事)に携わる際には
より明らかになってしまうので(神様には筒抜けなので)
とても気をつけないといけない点なのですね。
でも
そのためには
ある程度の修行というか
日常の中でも
身を清浄に保つために気をつけながら過ごしたり
気持ちをスッキリさせていくなど
それなりに、努力(浄化)が必要なのですね。
修行(継続した努力)が苦手なので
(不純/混沌してるままでいいよ〜と現状に甘んじながら)
避けていたのですが。。。そうも言ってられないようです☆
たぶん6月の時点では
形(間違えずに舞納めること)にばかり集中していて
中身(気持ち)が全然整っていなかったのだと思います。
でも気持ちの方が先に在るのが本来なのですよね。
そうすれば、
神様からのサポートが得られて
つつがなくスムーズに事が運ぶのですからね。。
それにそもそも
神事に関わる人間というのは
神様が行うための「依り代」なのですものね☆
解ってはいましたが
ようやく最近、実際に染み渡って来たところでした☆
(遅すぎっ。。。)
・・まぁ。。なにはともあれ
視力(心の素直さ)が回復して良かったです☆
